182日目の景色
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夫と出会って鬱になりました

2004年3月26日、私は念願の隠岐の島町民になりました(当時は、隠岐の島町は、西郷町と五箇村と都万村と布施村に分かれていて、そのうちの西郷町民となりました。一番大きな町で人口18,000人ほどでした)。私は大阪府門真市生まれの大阪府門真市育ち、近畿大学を卒業してすぐ島で就職活動をして、父の生まれ故郷である隠岐の島に移住してきました。


どうして、隠岐に移住してきたのか

私は、小さい時から夏休みの度に祖母が住んでいる隠岐の島に、兄弟三人で長期滞在していました。また、祖母は税務署で働く父と看護師として働く母のサポートのために、長期間私が住む門真の家に滞在して、私たち兄弟や近所に住むいとこ達の面倒をみてくれたこともありました。


そういった背景もあって、私は祖母のことが大好きで、凛としていて一途な祖母のような人間になりたいと思うようになりました。そして、そんな大好きな祖母が病床にあっても隠岐で死にたいと願ってまで愛した隠岐、幼少期からとても楽しい思い出が詰まった隠岐で、ノンビリと過ごしたいと思って、大学卒業と同時に隠岐に移住してきました。卒論も、隠岐の都市計画についての研究を選び、長期滞在してさまざまな人にインタビューして回ったので、どんな生活が待っているかはなんとなく予想していました。


実際に大阪という大都市から、日本有数の不便な地方である山陰の、さらに沖合に浮かぶ隠岐の島という、ど田舎に移住して生活することに不安がないといえば、嘘になります。でも、よく知った土地だったので迷いはありませんでした。


隠岐で紡いだキャリア

隠岐に移住して最初の10年はキャリア作りと決めていました。「本当の島の人」になるため、島で人脈を作って、島の人の信頼を得るために、嫌なことでも率先してがんばってきました。仕事以外にも、サークルやボランティアなど、さまざまな集まりに参加して、それぞれの場所で一生懸命活動しました。


今でこそ、全国的にIターンや田舎暮らしという言葉が流行っていますが、当時はまったくなかったので、「大阪から移住してきた若い姉ちゃん」だなんだといわれて、いろいろな人が可愛がってくれました。しかし同時に、いわゆる「よそ者」として、いろいろな人から心ない扱いも受けました。妬みやそねみもありましたし、執拗な嫌がらせもありました。でも、どんなことがあっても、「隠岐が好き」「ばあちゃんへの憧れと尊敬」この気持ちだけをもってがんばって、決して負けることはありませんでした。


正直、息苦しくなって、「もう何もかも嫌だ、投げ出したい」と、思ったことは1回や2回ではありません。でも、根底にある「隠岐とばあちゃんへの愛」が私を支えてくれました。


その間に、職場の上司と揉めて弁護士ざたになったり、向かいの家が全焼したり、離婚したり、不倫したり、苦しい経験もたくさん積んだ結果、「町議会議員に立候補してみないか」、とお声をかけてもらえるにまで、信頼を構築することができました。島にたくさんの人脈ができて、若い女子の団体であるロマンティック愛ランド実行委員会のリーダーを勤めたり、やりがいがあるけれど忙しくてたくさんのプレッシャーを抱える中間管理職的なポジションに登って行きました。


夫との出会い

そんな時の2012年春に夫と出会い、その年の暮れに夫とおつきあいするようになりました。夫は、島にはあまりいない、前向きな人で、ちょうど島の環境に辟易しはじめている最中だったこともあり意気投合しました。夫としては、都会からUターンしてきて、島に馴染みきらなかったこともあって、私に惹かれたのだと思います。


そして、翌年2013年春には、夫と夫の連れ子といっしょに住むことにしました。自分の子供ではない連れ子と生活することは困難が伴うことは100も承知でした。しかし、愛があればどんなことも乗り越えられると思っていましたし、夫がサポートしてくれると信じていたし、子供連れで実家住まいの夫と自由に会うためにはこれしかないと、最善の選択と信じて、いっしょに住むことにしたのです。


しかし、これが悪夢の始まりでした。


新しい生活は、想像以上に精神的な負担になりました。ちょうど、島の仕事でも伸び悩んでいたことも重なり、自分が認識している以上に大きなストレスを抱えるようになりました。そしてある日突然、誰もいない道路でうずくまって動けなくなり、夫に電話して迎えに来てもらいました。そしてこれが、私の最後の出勤日となりました。


2013年秋口のころで、県の予算で数百万円を投じて、もっくん主演の映画「おくりびと」の制作スタッフが、島の観光ムービーとして、私を主人公にしたサプライズ動画を撮影してくれて間も無くのことでした。



わたしがうつになりまして

病院に行ったら間違いなく鬱と言われるんだろうなと予感があったのですが、夫の強い勧めとお父さんお母さんの過去の発言もあって、病院にはいかず、少しゆっくり休むことにしました。ゆっくり休んでいれば、状況は改善していくだろう、そう思っていました。


しかし、気分の落ち込みは、いっこうに改善できませんでした。気分転換に、国内のさまざまな場所に旅行に行きましたし、カウアイ島に行ってバカンスしたこともあります。普段の日も日中は夫と島中をドライブしたり、海に行って魚介類を採取したり、山菜狩りにいったり、プチ登山をしたり、毎日遊んで暮らしては、自宅から徒歩3分のところにある離れで寝泊まりしていました。朝飯と夕飯は、夫に離れまで宅配してもらって、昼飯は外食したり、弁当買って外で食べたりしました。


とても楽しい毎日ではありましたが、3ヶ月経過しても改善しなかったので、退職することになり、10年かけて作った人脈も信頼も、すべてを失ってしまったような気持ちになりました。無職でニートなメンヘラ女になってしまったような気持ちがして、さらに自分を落ち込ませてしまうことも多々ありました。


新しい人生のはじまり

しんどくて苦しくて、悲しくて仕方なくて、カウンセリングに行ってみたり、いろいろなプログラムを購入して試してみたり、本を読んでみたり、誰かに会いに行ってみたり、セミナーに参加してみたり、いろいろと試しました。


結果、良くなったかなと思ったら悪くなってを繰り返して、気がつけば1年以上が経過しました。2015年4月には、3人で福岡に一ヵ月ほど移住してみたり、いろいろな人との出会いを通じて成長していきました。体験型セミナーで何かを掴んだ気がして、鬱になる前よりもさらに進化した自分になった気がして、1ヶ月以上感謝と喜びに溢れた、最高の日々を過ごしたこともありました。

2015年7月のことです。ついに目の前の霧が晴れたと思って、その年の8月8日に入籍しました。このまま順調に念願の妊娠もして、宇宙一幸せな家族になると思っていました。


追いかけてくる、鬱、汗

が、、、そんなに事は簡単にいかず、そこからも、あがったり下がったりを繰り返しながら、日々を暮らしています。でも、夫のおかげで物事の捉え方がかなり改善したので、落ち込みを選ぶことがあっても、立ち直るまでのスピードは速くなりましたし、こんな自分をありのまま受け入れることができるようになりました。


2016年5月14日には家族だけですが、ささやかな再婚式をして幸せを感じることができました。また、同月18日には、夫の連れ子と養子縁組して、息子として受け入れることができました。そして、2016年11月には新しい命をお腹に宿すこともでき、いろいろと葛藤や悩みはやってきますが、少しずつ夢を実現していってます。きっとこれからも悩むし落ち込むし苦しむと思いますが、絶対に夢は叶うんだ、そう信じることができるようにもなりました!(あ、もちろん、落ち込んでいる最中には、とてもじゃないですが、そんな肯定的な考えは出てこないですけれど!笑)


どうしてこのサイトに出てくるの?笑

なので、このサイトに書いてあるようなことは、本当に素晴らしい宝の山だと思って欲しいです。私が夫から学んださまざまなことが詰まっています。


そして、私がこんなに毎日楽しく遊んで暮らせるのは、落ち込んだ時にいつでもどこでも夫に連れて行ってもらえたのは、毎日楽しく過ごさせてもらえたのは、夫が私の面倒を見ている間も、アフィリエイトサイトがお金を稼ぎ続けてくれていたからです。


そのおかげで、夫は、鬱の私の面倒を見ながら、小学生の息子の面倒を見ながら、家事をしながら、会社を設立して、一緒に遊ぶことができたんです。


なので、私はアフィリエイトはやっていないし、まったく夫の手伝いさえもしていないし、正直このサイトの運営にもタッチしていませんが、アフィリエイトがいかによいものかというのは、一番近くで見てきて知っていますし、心から感謝しているところです。あの仕事量で、毎年1,000万円以上も稼ぐことができる仕事は、他には絶対にないと断言できます。


何がいいたかったかわかりませんし、なぜここで登場しているかもわからないと思いますが、少なくとも夫の人生を楽しみの側面から支える妻として、そして今後、家事と育児で夫を支えていく役割から、182日目の景色影の運営者として、登場させて頂きました。←やっぱり意味不明??笑


あなたには価値がある!

私が言えることは、あなたが今、どんな状況にあったとしてもあなたには価値があるということです。何ができようとできまいと、あなたは一人の人間としてものすごく尊い存在です。そして、無限の可能性を持っていて、いつでもどこでもどんな状況からでも、自分の思い描ける限り、あらゆる人生を実現する可能性に溢れています。


そう、何もかも失って無職ニートのメンヘラ女のように自分を感じてしまっていた私が、夫と宇宙一幸せな家族を作って、再婚連れ子家庭(ステップファミリー)のみちしるべとなっていくように。あなたの可能性を私も夫といっしょになって、応援したいと思います。

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