岐の島にUターンしてきて、早丸5年が経ちます。

この間、本当にいろいろな人と出会い、たくさんの試練もありましたが、たくさんの支えの中で「今」を生きることが出来ています。

そんな中、人口の激しい減少が続く地方にあっては、どう人口を増やすかが非常に大きな課題です。

お年寄りは減っていきますし、一人の若い人が出産する子供の数はそう簡単には増えません。

少子高齢化が進んでいて、自然に人口が増えることはないのです。

そこで、今流行っているのが、UIターン者を増やす試みです。

これは、多くの地方自治体が一生懸命取り組んでいますし、国としても、地方創生という看板を抱えて取り組んでいるようです。

でも、ぶっちゃげ、ほとんどの自治体がうまくいっていません。

また一見うまくいっているように思える地域については、実際は大きな課題を抱えているのが現状です。

地方再生で全国的に脚光を浴びる同じ島根県の同じ隠岐諸島の中にある海士町であっても、課題を抱えています。

また、私たち隠岐の島町でも、当然たくさんの課題はありますが、本当の根本的な問題点が見えてきましたので、ここにまとめてみたいと思います。

(※ここに書いてあることは、私が個人的に見聞きしたことから推測するもので、例外は多々あると思いますが、私としては間違いないと思っています)

なぜ、若者は島に帰ってこないのか?

都会の若者

隠岐の島には、高校まではありますが、大学や専門学校はありません。

そのため、高校を卒業してすぐ働くごくごく限られた一部の人を除いた進学組は、全員島外に出ることになります。

そして、島外で専門学校や短大、大学で学んだ後は、そのまま本土で就職することが多く、島に帰ってくる人は少数です。

また、一定期間本土で働いたのち、Uターンしてくる人も多少はいますが、そんなに多くありません。

私の体感としては、家業を継ぐためか、何かしら困った事情(離婚や借金、事業の失敗や病気など)があって、「やむを得ず」帰ってくる人が多いと思われます。

では、隠岐を出た人たちに愛郷心はないかというと、そんなことはありません。

関西だけでも隠岐出身の会は、かなりの数あり、数千単位の人が登録していて、一部の熱心な形は、継続的に隠岐関係者と交流をしています。(でも、隠岐には帰りません。

つまり、隠岐のことを愛している人は多いのです。(でも、多くの人は隠岐に帰りません。

隠岐はとてもよいところです。

人口は15,000人(弱になりました)と少ないですが、豊かな自然とおいしい魚、そしておいしい水と山の幸まである恵まれた土地です。

確かに不便ですが、私が住んでいる隠岐の島町であれば、一日1便の飛行機に乗れば、大阪伊丹空港まで1時間で着きますし、出雲空港へは30分かかりません。

また、高速船を使えば、境港、米子、松江近辺レベルは日帰りも可能です。

また、島内にホームセンターのジュンテンドーはありますし、ドラッグストアのウェルネスもあり、中型スーパーが2つあります。

基本的に、大概のものは島内で手に入りますし、その他変わったものはAmazonで頼めば、かなりのものが翌日には配送料無料で届きます。

ただし、通販ショップの提携している配送業者によっては、中継料がかかり莫大な送料を請求されることもあります。

給料は安いですが、働き口がないわけではないですし、探せば住むところはたくさんあります。

ご近所からお裾分けでカニやバイ貝やさまざまな魚などの魚介類やタケノコなどの山菜や取れたての農作物がもらえることもあります。

一方で、冬は時化るので高速船が止まっていて、フェリーが欠航することもあったり、新聞が昼に届くことがあったり、全国的に不便な山陰のそのまた沖合にあるといった不便さがあるのも事実です。

閉塞感を感じることもあれば、逆に自然の開放感を感じることもあります。

つまり、都会と比べて、一長一短があるという、どこでも同じ条件下にあるということになります。

で、町も一生懸命、UIターン者を増やそうとしてさまざまな取り組みをしていますし、島根県もバックアップしています。

しかし、同じ隠岐の海士町はうまく行っても、隠岐の島町はうまくいきません。

なぜ、うまくいかないのでしょうか?なぜ、若者は島に帰ってこないのでしょうか?隠岐に住もうとしないのでしょうか?

所得が低いから?仕事がないから?住まいがないから?お金がないから?不便だから?

これらは、すべて、NO!、です。

なぜなら、同じ所得の低い地域でも、UIターン者がたくさんの地域はありますし、隠岐のハローワークに行けばたくさん求人もあり(逆に隠岐では、現状人手不足で、100人以上いる外国人労働者の方がいないと仕事が回らないくらいです。)、空き家はたくさんあるからです。

もっと不便な場所やもっとお金に困っている地域でも、UIターン者はやってきています。

※隠岐の島にUIターン者がいないわけではないですが、多くはないと実感しています。

あるかないかではなく質の問題

仕事の質

島根県のUIターン者を集める担当者に聞くと、UIターンしてくる人の多くが、「仕事」と「住まい」を一番気にするらしいです。

UIターンをためらうもっとも大きな理由で、他を抑えて圧倒的に多いらしいです。

人口は劇的に減っているので、家はたくさん空いていますし、ハローワークに行くと有効求人倍率は決して悪くありません。

家も仕事もあります。

給料は安いですが、家賃は安いですし、いろいろな人が助けてくれて、お裾分けもくれたりするので、お金がなくても住んで生きやすい環境です。

実際に隠岐の島にホームレスは一人もいません。

風光明媚で自然は豊かで環境は抜群だし、渋滞はしないし、通勤時間は短し、治安はよいし、よいことずくめです。

じゃあなぜ、人が減る?人が増えない?

それは、隠岐で幸せに生きれるような気がしないから、ではないでしょうか?

隠岐の人が、毎日毎日を本当に幸せに暮らしていないからではないでしょうか?

隠岐の人が、毎日毎日「楽しい」と活き活きと生きているというよりは、「ようやく一日が終わった疲れた」と、毎日を楽しめずに、幸せじゃないように生きているように見えるのではないからではないでしょうか?

つまり、「隠岐には、仕事はあるけれど、魅力的な仕事がない、あるいは隠岐で暮らすことは魅力的だけれど、隠岐で幸せに生きられるようには思えない」、ずばりこれが理由のように思うのです。

確かに、隠岐を楽しんで生きている人を何人かは知っていますが、その他ほとんどの人は、毎日を幸せに生きているようには思えません。不平不満愚痴陰口を言って、自分のことを過小評価して生きている人が多いように感じるのです。そんな親の後ろ姿をみて、隠岐に帰省したいとは思いこそすれ、Uターンしたいと思いはしないでしょう。

実際に私も同じでした。隠岐は好きだけど、隠岐で幸せに生きられる気がしない。むしろ、隠岐のいろいろな嫌なことを思い出して、帰りたくないと思っていました。でも仕方ないから帰り、そして住むからには幸せに生きたいと思って、2012年からアフィリエイトに取り組んで、今は本当に幸せに生きています。

なぜ、Iターン者は3年で島を出るのか

島を出るIターン者

次に、「せっかくIターンしてきた人が、どうしてまた本土に戻るのか」について考えたいと思います。

隠岐にIターンしてくる人は、毎年一定数います。

でも、3年以上継続して住むことは極めて少ないように感じています。

それはなぜでしょうか?

隠岐にIターンしてくる人の多くは、隠岐のことが好きになってやってきます。

隠岐の自然や人が好きで、田舎らしさと不便さの中のほどよい利便さから住み心地は悪くないはずです。

隠岐の人にとてもかわいがられるので、人間関係も良好になると思います。

ところが、海士町でもそうですが、長くはいつかないんです。

3年もするとよそに行ってしまうのです。

どこにいくかというと、都会に戻ったり、別の田舎に行ったりします。

なぜでしょうか?

正直、結婚、経済の問題、相性の問題、理由はさまざま個別にあると思います。

しかし、傾向性として正直ここは、UIターン者が増えないのとは違う、Iターン者自身の問題が内在しているように感じます。

それは、次の通りです。

住み始めた当時はお客様だったIターン者が、3年経つと地元民としてお客様である次のIターン者を迎える立場になるから。

なんとなくニュアンス分かりますでしょうか?

つまり、消費者から生産者へ、受け取る立場から与える立場に状況が変わるということです。意識が、遊びから仕事に変わると言うことです。他人事が、自分ごとになるということです。非現実が現実になるということです。

誰しもが、人口減少、少子高齢化しているエリアに移住すると歓迎されてかわいがってもらえます。

これまでと全く違う場所で、まったく違う人たちと全く違う環境で生活をするので、何もかもが珍しくて非現実的な生活になります。

これぞ求めていたことだと思うのです。

ところが、3年も経過すると、もはや非現実的だった生活も、いつもの生活、いつもの景色に成り下がります。

周りの人から見ても、お客様であったのが、仲間になってきます。そして、お客様扱いから、仲間扱いになり、新しく移住してくるIターン者を迎える側に回るのです。

ビジネスでいうとお客様はお金を支払ってサービス・価値を受け取る側です。

仕事としてサービスを提供する側の対局にいるので、お客様として心地がよいのと、仕事としてサービスを提供する側として心地がよいのは全く異なるのです。

つまり、3年経過してからが本当の意味での移住生活がスタートするのであって、それまでは超長期の旅行みたいなものなのです。

どうすればよいのか?

これらを踏まえて、私たちは何をどう考えて、対策したらよいのでしょう?

私が考えるサクセスロードはこうです。

まず、私が家庭的にも経済的にも、個人的な生活においても最高に幸せな状態を維持して、社会貢献をし、影響力を高めていく。

そして、隠岐で、生きがいと経済を両立できる仕事の様式と、幸せな家庭の様式を構築して広めていくことだと思います。

幸せに生きて、地域の人のみちしるべになること。これが、私に課せられた使命です。

自分が幸せでないのに、人を幸せにすることはできません。

自分の考えの押しつけもまったく無意味です。

その人の望む人生を明らかにしてもらい、その道を歩む手伝いをすること。

そもそもあらゆる人が、自分の人生に可能性を見いだして、自分らしい自由で豊かで幸せな人生を歩めるような希望の星となること。

これが、私ができる私なりの解決策です。