人生で一番大切なことは、信仰ってホント?

なたは、何か信仰を持っていますか?

日本人の多くが、「信仰」っていう言葉を聞くとアレルギー反応のように、「怪しい」とか「うさんくさい」と言って嫌がります。実際に、宗教を利用するのは、お葬式くらいで、日常的には完全に無縁で過ごします。

一方で、海外では信仰を持っている人がほとんどで、キリスト教をはじめ、イスラム教、ヒンドゥー教、さらには、それぞれの宗教の中に細かく宗派が分かれていて、それぞれの信仰を持っている事がほとんどです。

私の信仰の対象

私は、京都の九頭竜大社という神社を信じていて、信仰の対象としています。

また、普通に天照大神、大国主命や氏神様など八百万神も神棚にまでは祭っていませんが、信仰しています。(以前は、九頭竜大社さんと八百万神の神様のお札を神棚にお祭りしていましたが、事情あって、現在は九頭竜大社さんのお札だけをお祭りしています。)

私はこの記事で、私が信じる九頭竜大社さんへの信仰をオススメしようとは、一切思っていません。ただ、人生において信仰は非常に大切で、有益なものだということをお伝えしたいと思います。

私が信仰を持った理由

私が信仰を持った理由

私は、2009年に前の会社に入った頃から少しずつ信仰の世界に入っていきました。

最初は、験を担いで会社にあった神棚にしっかりと手を合わせて、毎日の水と塩と米を変えるようになったことがきっかけでした。

その会社では、毎年商売繁盛の神様で有名だった埼玉の久伊豆神社というところに、年初にお参りして全社で正式参拝していました。その際に、お札を授かって、家に飾りはじめたことが私の信仰生活のスタートです。

当初は、会社で手を合わすだけでしたが、2012年に隠岐に帰って、2013年に実家を出て所帯を構えてからは、家に神棚を買って飾るようになりました。そして、初詣はもちろん、旅行先などで、神社にお参りしては、お札を授かって返って、お祭りすることを繰り返していました。(当時は、趣味のようにたくさんの神社のお札を並べていました。)

毎朝、米と水と塩を変えて、月に1回、榊と酒を変えて手を合わせて感謝の祈りを捧げるだけですが、2013年以来家にいるときは欠かさずやってきました。(途中までは、平日だけの日課にしていましたが、今は、平日休日問わず手を合わせています。)

九頭竜大社との出会い

そんな繰り返しの中で、2017年の年初にたまたま、大阪で時間を持て余す時がありました。せっかくなので、どこか初詣に行こうかということになって言ったのが、京都は八瀬にある九頭竜大社という神社でした。

日本電産の永守社長が、信仰していることで有名な、「9回回る千度」というお参りでテレビなどで話題になった神社だということでした。その年がちょうど、八方塞がりの年だったということもあって、お祓いもしてもらおうということになって、初詣とお祓いを兼ねてお参りさせて頂きました。

そうしたところ、お参りして9日たった時に、私が狙っていたビッグキーワードでサイトが1位になって、収益がグンと伸びたり、新しい子どもが生まれるにあたり引っ越し先を探していたら、ちょうど狙っていた場所に、賃貸がたまたま出たり、さまざまな奇跡としか思えない出来事が頻発しました。

おお、これはお参りのおかげではないかと思ったのを覚えています。

そこから2017年は九頭竜大社さんのお札と、旅行先でお参りする神社のお札を神棚に並べていましたが、2018年からは九頭竜さん一本に集約することにしました。2018年4月には、九頭竜会といって、九頭竜大社の信者と認められる会に入会して、晴れて、九頭竜大社の信者になりました。

九頭竜大社に帰依して

九頭竜大社に帰依して

信者といっても、行けるときにお参りに行ったり、毎月300円くらいの会費を支払ったりするレベルです。

しかし、私は九頭竜大社さんの、自然に生きようという教えと、はじめてお参りしてからの奇跡的な出来事に心から感謝しており、これからも信心していこうと思っています。

特に、宗教的な集会なんかに参加したりしたわけではないですが、日々神棚に向かって手を合わせる中で、九頭竜さんとは別で心理学などを学ぶなかで、いよいよ、信仰の意味と大切さを、最近は心から感じるようになってきました。

アンチ宗教からの離脱

そもそも私が昔から信心深かったかというとそういうことはありません。逆に、神様を否定していた、傲慢な人間でした。

元々、私の母は創価学会で嫌な思いをしていたこともありましたし、私が超現実的主義だったので、科学的には絶対に証明できない神様とか宗教に全く意味を感じていませんでした。

神様なんていないと思っていましたし、そもそも、神様がいるとしたら、どうして戦争が起こるんだなどと、ニヒルに考えてもいました。この21世紀の社会に、本気でみんな神様を信じているのかな、と不思議に思いさえしていました。

ところが、大人になって、成長するにつれて、どうして人は神様を信じるのかな、験を担ぐのかなと不思議に思うようになりました。そして、たくさん宗教があるのに、どうして特定の宗教に帰依するんだろうと。

また、多くの人が「オウム真理教」や「統一教会」などの宗教で偏見を持っているのも知りました。一方で、オウム真理教内部からみたら、社会のほうがおかしく見える、そんな映画も観たりして、価値観とは見方によって大きく変わるなという体験もしました。※A(エー)という映画で、オススメです。

本気で神様を信じる

本気で神様を信じる

今、私は38歳ですが、ここまでいろいろと体験して思うことは、「信仰というのは、よりよく生きようと志した時に、非常に有益なものだ」ということです。おそらく、どんな人も信仰を得ることで、生きやすくなり、苦しい体験を乗り越えやすくなります。また、ある面の諦念を抱くこともできますので、我も取れます。

幸せになる方法は無数にあると思いますが、信仰はもっとも効果的なことだと思います。お金がない人は特に、信仰を持つことで、困難を乗り越えやすくなるはずです。そして、どうして自分にお金がないのかわかるようになります。

信仰を持つことで、すべてに感謝することができ、目先の「自分の置かれた状況」によって一喜一憂しなくなります。なぜなら、今、仮にどん底だとしても、それはプロセスにすぎず、人生をドラマティックにしてくれるスパイスでしかないと思えるようになるからです。

どの宗教もそんなことを言っているわけではないですが、信仰を持って、自分よりも高次元な世界に対して「感謝の祈り」を捧げることによって、自然とそんな思いに至ることができるようになります。

秋山慎也秋山慎也

売上が上がろうが下がろうが、これらはすべてよい未来へとつながる通過点に過ぎないんだなと。こうやって、日々感謝することで、明るい未来が待っていることを確信することができる。

そんな思いにさせてくれます。

信仰の先はどこでもよいです。

自分が心から感謝できる神様や仏様などであればよいでしょう。そして、願わくば、毎朝スタートする時に、しっかりと感謝を捧げることができるようにしましょう。

朝の儀式はあなたを守る

私の場合は、神棚の水と塩と米を入れ替えて、手を合わせて毎日幸せに生きられることに感謝しています。

時には苦しくて、不平不満に汚染されそうになる時もありますが、そんな時でも神様に手を合わせて感謝を言うことで、フォーカスが感謝のほうにシフトして、不平不満汚染から逃れて感謝モードに入ることができます。

このように、信仰を持つことで、感謝の気持を強化でき、未来を信じることができる、強い心を得ることができます。

なので、よりよい人生を歩む上で、非常に有効な手段となりますので、ぜひオススメしたいと思います。

※逆に、信仰を失った人間は、横柄になり謙虚さをなくします。なぜなら、人間が万物の長だと錯覚するからです。感謝の心も忘れてしまいがちです。私たちは、この地球に生まれ、生かされています。どうして、生きているのかどうして生命として生まれることができたのか、人類の知恵では絶対にわからない問いを常に持っています。だから、宗教が大切です。私たちに生きる規範を与えてくれるからです。目に見えない何かへの畏怖を思い出させてくれ、絶対に溶けない謎を謎のまま抱えることができるキャパシティをもらえます。