人はどうして「その行動」を選択するのでしょうか?
旧来の考え方では、人は外からの刺激(=飢えや、恐れ、渇望)に反応する形で行動すると思われていました。
確かに、「誰かにしかられるから」とか、「おなかがすいたから」とか、「雨が降っているから」といった理由で、
行動することは非常に多いのではないでしょうか?
しかし、よく見てみると、実はそれは一つのきっかけにすぎず、
本当はその裏に、その人自身の心の欲求が隠されていたのです。
人は、その隠れた欲求を満たすために、行動を選択するわけです。
選択理論によると、人は遺伝子からくる根源的な5つの欲求を持っているといわれます。
この欲求は、非常に強力なもので、どうしてもこの欲求を満たそうとしないではいられない、
強い衝動をもって、人を行動に駆り立てます。
つまり、外的な刺激に反応して行動をするのではなく、
一見外的な刺激によって行動をしているように見えて、実は己の内なる欲求を満たすために行動しているのです。
そして、その欲求を満たすと「その人が考えているイメージの世界」を上質世界と呼びます。
ここでは、人を動かす根本欲求として、5つの基本的欲求について解説したいと思います。
5つの基本的な欲求
5つの基本的な欲求は、次のものがあります。
人によって、それぞれの欲求は強い弱いがありますが、
すべての人に必ずすべての欲求が備わっています。
そして、それぞれの欲求が異なり、その欲求の満たし方が異なるため、
同じ状況にあったとしても、人の行動はまったく異なったものになるのです。
つまり、人はそれぞれ違っているということがいえるのです。
- 生存の欲求
- 愛・所属の欲求
- 力の欲求
- 自由の欲求
- 楽しみの欲求
生存の欲求とは、人が生きていくために必要とするものを求める欲求です。
例えば、食欲や睡眠欲、性欲、排泄欲、健康を求める欲求など、根源的なものが多いです。
命に関わる欲求ですので、欲求充足の中では、もっとも優先順位を高く設定する必要があります。
愛・所属の欲求とは、他者と愛し愛されたい、親密な人間関係を作りたいという欲求です。
例えば、家族や友人関係、会社の人間関係などで良好な関係を保ちたいと願うものです。
そして、自分が大切にしている人や団体から、大切に扱われたいという欲求です。
力の欲求とは、何かを成し遂げたり、人から認められたり、自分の思いを実現したいという欲求です。
例えば、仕事で目標達成したいとか、人からほめられたいとか、世の中の役に立ちたいとか、があります。
自分の思いを実現することは、時に人が思いを実現したいと思うこととぶつかり合ってしまうことがあったり、
人からの賞賛を得ることは、自分のコントロールにないことから、さまざまな問題の元になりかねない欲求です。
一方で、力の欲求が強いことは、世の中に多くの価値を届ける一助となってきました。
科学技術の発達や社会の発達を支えてきた欲求とも言うことができます。
自由の欲求とは、自分の考え、感情、思いに基づいて自由に行動したい、という欲求です。
例えば、雇われたくないとか、彼女に行動を束縛されたくないとか、金銭的に不自由でありたくないなどの欲求があります。
意外かもしれませんが、経済的な欲求は、この自由の欲求に属します。
楽しみの欲求とは、楽しい思いをしたい、好奇心を満たしたいという欲求です。
例えば、旅行に行きたいとか、映画を観たいとか、勉強したいとかいったことがあげられます。
欲求の必要性という意味では、なくてもなんとかなる人も多いものですが、
満たされないと過大なストレスを抱くことになります。
5つの基本的欲求を踏まえてどうすればよいか
これら基本的5つの欲求は、私たち人間の遺伝子に組み込まれた究極の欲求であり、
人はみな、この欲求を満たすために、そのときそのときの行動を選択しています。
そして、この欲求を満たしてくれると思われているのが、
上質世界と呼ばれるイメージの世界です。
人は皆、これまでの経験から、ある欲求を充足した経験を持っています。
欲求が満たされた経験や、欲求を満たしてくれた人、物、状況を記憶しており、
そういった事柄が、欲求を満たしてくれると考えているわけです。
あるいは経験したことないことであれば、本や教育、人から聞いた情報で、
何かしらの欲求を満たしてくれることを知ります。
つまり、人は上質世界にある人や物や状況などによって、
欲求が満たされると思っており、その上質世界の事柄を実現するために行動するのです。
欲求を満たすために効果的と思われる事柄=上質世界が行動の源泉なのです。
欲求は変えられない、でも上質世界は変えられる
以上のことから、人は欲求を持つことを変えることはできません。
しかし、先に示したとおり、欲求は非常に抽象的です。
大切なこと、つまり具体的な行動を起こす元となるのは、
欲求であり、それを満たすだろう上質世界ということになるのです。
お伝えしたとおり、上質世界は、その人が「欲求を満たせるだろう」と「思う」事柄であるため、
上質世界は、解釈の世界であり、自分でコントロールすることができるというわけです。
例えば、次のような例を見ればわかりやすいかもしれません。
ある人が、いつも誰かに命令を下し、その人がその命令に従うことで、
自分の力の欲求を満たしていたとします。
しかし、ある面一方的に命令されるほうは、その人の自由の欲求や力の欲求を妨げられており、
人間関係が悪化していたとします。
命令を下した当人は、力の欲求を満たすことができる一方、
命令を受けた人は、欲求充足できず、心に欲求不満を抱くことになります。
命令を下す人が権力を持っているうちはよいですが、
ひとたび力を失うや、命令を受けていた人は間違いなく、その人の下を去ってしまうでしょう。
ということは、やはり効果的な選択ではないということができます。
命令を下す人の上質世界の中に、「誰かに命令を下して、その人が言うことを聞くことで、
自分の力を感じることができ、欲求充足できる」という情報が入っているので、
その人は、命令を下し続けるわけです。
もし、その人が、より効果的な選択をしようとすれば、どうすればよいのでしょうか?
まずは、この一連の内容を知ることが大切です。
そして、人に命令を下し続けることが効果的な選択ではないと気づかなくてはいけません。
自分の行動を変革する必要があることを知らなくてはいけないということです。
そのことが、行動変革の動機となります。
しかし、それだけでは、ほとんどの人が行動を変革することはできません。
なぜなら、上質世界に「人が命令を聞くことで自分の欲求を満たすことができる」という情報があるからです。
自然と、上質世界を求めて人は行動してしまうからです。
だから、この上質世界を書き換える必要が出てきます。
別の方法で欲求を満たすことができることを体感しないといけないということです。
例えば、誰かの話を親身に聞いてあげた結果、その人の人生がよりよくなり、
感謝の気持ちから、お礼をしてくれる経験をするなどです。
自分はその人の行動をコントロールしようとしているわけではないけれど、
その人の願望を実現する手助けをすることによって、自己重要感を満たしたり、
目標達成することができることを知るのです。
そうして、少しずつ、人の行動は変わっていくというわけです。
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