あなたには、無限の可能性が内在しており、あなたが望むあらゆることの中で、あなたが実現可能だと本気で信じるものは、何事もすべて人生で実現することができます。そこに疑う余地はありません。過去、さまざまな反対意見がありながらも、あらゆる偉人たちがそのように言っています。
私は、それを証明することはできませんし、証明する何かがあるかどうかわかりません。また、そこに労力は払わずとも、経験的にそうだなと思いますし、人間の無限の可能性を信じて生きていくという信念を持って生きています。
逆に、私たち人間が「望み実現可能だと信じることはすべて実現可能だ」ということが間違っていると証明するのは、極めて困難だと思います。可能性を否定するのは極めて難しい作業だからです。
あなたには才能と能力が隠されている
つまり、あなたが「何かを望んでいて」「それが実現可能だ」と思うのであれば、あなたにはそれを実現するだけに非常に優れた才能と能力とが内在されていることを示しています。
しかし一方で、あなたはそのことを知りません。
すでに表面に出ている能力についてはあなたは知っていることが多いのですが、これから成し遂げることを実現できるだけの才能や能力を持っていることは、今のあなたにはわかりませんし、あなたがわからないのですから、他の誰もがわかりません。なぜなら、まだあなたは「それ」を成し遂げていないからです。
ややこしいですね??汗
自分の無限の可能性を信じたイチロー選手の事例
例えば、イチローさんは小学生の時から大リーガーになると決めていて、作文に書いていたことは有名な話です。
けれど、野球の上手な小学校6年生をみて、この子が大リーグで活躍して世界的な選手になると誰が信じられたでしょう?
またその子が、ドラフト5位でオリックスに入団した時にはどうでしょうか?
おそらく、誰もが将来大リーガーとして世界的に有名な選手になるとは、想像できなかったと思います。(大リーガーとして活躍すると信じる人がいたとしたら、きっとドラフト5位ではなくて、1位で入団ですよね。)
イチロー選手の無限の可能性は、イチロー選手以外の誰にも見えていなかったわけです。でも、イチロー選手は、自分の「願望」という形でそれを信じていたわけです。
イチロー選手の場合は、自分の可能性を信じていたかもしれませんが、ほとんどの人は自分の可能性をみれません。当然、周りの人も見れません。
名横綱になることを信じる28歳の相撲の素人の事例
逆に例えば、「オレはこれから世界的な名横綱になるんだ!」と宣言する28歳の相撲の素人さんがいたらどうでしょう?
おそらく、周りの人は、そんなの無理だから辞めておけというでしょう。そして、間違いなく、その人は名横綱になれません。
なぜなら、相撲の選手生命が30前後くらいまでで、28歳くらいから練習をはじめてたった3年で超一流にはなれないからです。
なんだ、人間には無限の可能性があって、無理なんてないんだろう?って思われるかもしれません。
確かに、この事例でも、28歳の男性は「自分の願望を持って」いて、そこに努力しようと思っているかもしれません。しかし、本当にそこから名横綱になれると心から信じているでしょうか。
本気で求めているか?本気で信じているか?
きっと、そう思っていないですよね。心のどこかで、「無理じゃないかな」って思っているのではないでしょうか。あるいは、もし28歳になって名横綱になりたいと心から願って、それを本気で信じているとしたら、きっと「相撲」と「横綱」というものがどういうものか全く知らないのかもしれません。その場合は、当然願望自体が本当ではないといえると思います。なぜなら、知りもしないことを本気で求めることはできないからです。
いずれにしても、その28歳の青年も、内心無理だと思っていたか、完全に無知だで本当の願望でなかったかのいずれかであることになります。つまり、本当はそんなの求めておらず、目立ちたいとか楽したいとか、表面的な感情に流されているだけのことです。
このように、自分の可能性を見られる人はあまりいませんし、自分の表面的な感情ばかりに流され、自分のことをしっかりと知らずにテキトーに考えていたりする人が非常に多いのが実情です。
原理原則に生きよう
今日、私があなたに伝えたいことは、あなたの「今」考えている思考を絶対視するなということです。
もっというと、自分の現段階の能力を過信するな、独創性、独自性に頼らず、自然の理から習えと言うことです。そして、表面的な感情に流されるなということです。
ゲーテは、次のような言葉を残していると言われています。
過去の遺産ともいえる文化を無視し、薄っぺらい独創性に重きをおいているのが近代の病なんだ
斎藤孝「座右の銘」より
ゲーテは言わずと知れたドイツの著名な詩人にして思想家にして芸術家で、1749年生まれの偉人です。
18世紀からすでに、多くの人は過去人類が成し遂げたことを無視して、自分の独創性に重きを置きたいと考えていたのです。
オリジナリティという嘘の美酒
つまり、「自分はすごい」と思いたかったり、自分に自信がないから自信をつけるために「オリジナリティを前面に出したい」と思ったりするものです。(それが、自分の独創性だと不安を押し殺しながら、自分に言い聞かせる状態になります)。
そういう動機が先立つ結果、本当に自分の求めるものを知らず、表面的な自分の望みを満たすことばかりに時間を使うことになります。
先人に学ぶという謙虚さを忘れ、唯我独尊の傲慢な状態になり、あなたの本当の力が発揮されないまま人生が終わっていく可能性が増します。
そうなんです。
非常に皮肉なことなのですが、自分のオリジナリティや自分の考えを過信する結果、本当の自分の能力を発揮できない状態になってしまうのです。
意味わかりますか?
この複雑でわかりにくいロジックです。
無限の可能性があるのに、独創性によって制限かける自己矛盾
それは今でも変わりません。
多くの人が、自分の考えや価値観をあまりにも絶対視しすぎており、自分の考えの外を見ようとしなかったり、信じようとしません。
本当は、あなたには無限の可能性がありますし、あなたには無限の才能と能力があります。しかし、自分の思考の枠組みという限られた中でだけ生きている限りにおいて、自分の現在の思考の枠の外にある自分=無限の可能性には気づくことはできません。
私は、私が知っている以上に価値のある存在で多くのことをなせると信じることができないからです。
あなたの無限の可能性を開花させるのは、謙虚になり「これまで人類が培ってきた歴史であり、遺産であるさまざまな原理原則」をあなたが学び、活かした時です。
真の独創性は、過去の歴史の上に調和されてできあがるものなのです。
独創性とは、あなたの完全オリジナルのものではない。人類が紡いできて原理原則に則って、無限の可能性であるあなたの内面が花開いたもの。
この意味がわかりますでしょうか?
人類が最も発展してきた理由
人類がこれまで発展してこれたのは、文字を発明して、知識を次の世代に継承することができるようになったからです。
だから知識や経験が蓄積されて、蓄積された情報のうち時代を経て廃れなかったものが原則として残っています。
それは、たかだか100年あまりしか生きられない人間が1代では到底発見することのできないもので、膨大な量の経験に基づいた成果です。
私たちは常にこの過去3000年という長い年月にわたって人類がストックして洗練してきた知識と知恵、原理原則を活かし、自分では到底コントロールできない自己に内在する力を使うことで、本当の意味であらゆることを実現することができるようになるのです。
3,000年の歴史によって磨かれた真の知恵と自己の内在する無限の可能性が調和して、初めてあらゆることを実現できるようになる。
自分の感情に流されるな
もしかしたら、原理原則はあなたにとって「嫌なこと」だったり、「苦しいこと」だったり、「辛いこと」だったり、「本当とは思えないもの」だったりするかもしれません。
でも、「過去のすべてが正しくて」「あなたの独創性が常に間違っているわけ」ではありませんが、過去から伝わる原理原則は、あなたの行いの結果に対して必ず影響を及ぼします。
なので、自分の感情や価値観を絶対視せず、謙虚な心で、先人の知恵を学んで実行して、あなたらしさを発揮して、真の独創性を発揮して頂けたらと思います。
人はしばしば、自分の目に見えること、過去経験したことしか、真実として見れなくなります。
そしてそれは年齢と経験を積み重ねてきた人に多く見られます。
ところが、世界は本当に広く、歴史は本当に深いものです。
あなたが生きて経験したことよりも遙かにたくさんのことが過去、現在と生じては処理されています。自分のものの見方や捉え方、考え方は、それだけなのだろうか、他の解釈は存在しないのだろうか、少し立ち止まって、調べてみるのもよいかもしれません。
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