脱社畜サロン炎上

日、 脱社畜サロンと言うサービスを提供している人がTwitterで炎上しているのを見かけました(正田圭さんという方)。脱社畜サロンと言うのは高知県に住んでいるイケハヤさんと言うブロガーと正田さんと言う事業を売買しているような起業家の方、はあちゅうさんと言う先日AV男優との事実婚を発表して話題になったブロガーさんの3人が運営オンラインサロンです。

私は入ってないので詳しい事はわからないですが、おそらくブログやYouTube 、あるいはTwitterなどを利用してお金を稼げるようになって、サラリーマンを辞めて、自営業者になろうと言う趣旨の会なのだと思います。

どういうやり方かはわからないのですが、運営者の人が参加者の人にそのやり方を教えたり、コミュニティに所属している人たちがお互いに交流することでモチベーションを高めて目標に向かって突き進んでいくという内容になってるのではないかと思います。(詳細は、イケダハヤトと正田圭とはあちゅうの「脱社畜」サロンをご参照ください。多分、これのことだと思います。)

脱社畜サロンに違和感と反感を抱く理由

そのサロンを運営してる人たちが参加者の人から月額3,000円~のお金を徴収して運営されているサロンという名の会で、参加者は社畜を脱することができるようになるのだと思います。

サロンの運営者、サラリーマンをやめるための方法を教えること、そこでお金を取ることは、私はまったく問題ないと思います。サラリーマンを辞めて独立したいと言う人がいて、それを教えたいと言う人がいて、お互いが合意した金額でサービスを提供されているわけなので、通常の商取引だと思います。

しかし、実は私はこの脱社畜サロンと言うサービスに違和感と反感を抱いていました。

サラリーマンは尊い働き方のひとつ

なぜかと言うと、私は社畜という言葉がどうも気に入らないからです。社畜と言うのは、基本的にはサラリーマンのことを指しているようなのですが、会社の畜生と言う意味で社畜なのだと思います。つまり、会社の奴隷というか会社の言いなりというか、主体性のない人のように定義していて、一生懸命働くサラリーマンを馬鹿にした呼称だと思います。

私は、会社経営者が偉いとか、自営業者の方が優れているとか、サラリーマンの方には主体性がない、と言うような事は一切思っていません。サラリーマンの方でも主体的で、ものすごく能力が高く、高額な報酬を得ている人もたくさんいます。お金だけじゃなくて、自由な時間に働いて、満足がいく結果を出し、志を持って取り組んでいる人も沢山います。(もちろんそうでない人もたくさんいますが。)

一方で、会社を経営していても儲かっていなかったり、自営業の人でも収入が少なくて自分の自由な時間がいっさいない、そんな人もたくさんいます。

つまり、経営者とか自営業者とかサラリーマンとか、それは働き方のひとつなだけであって、優劣はなく、それぞれにメリットとデメリットがあるので、望みに応じて選べばよいだけということができます。

ぶっちゃけどうでもよいのですが、、

それなのにサラリーマンだと言うことを指して、サラリーマンの1つのデメリットをピックアップして強調して、社畜と言う表現を使うのは私はフェアではないと思います。

正直言うと、イケハヤさんや生田さんが、何を言おうと、どう考えて、サービスを提供してお金を取ろうと、それは自由であって、私がどうのこうの言う問題でもありません。またどうのこうの言ったところで、彼らが気に留めるとも思いません。社畜っていうのは、単に注目を浴びるために、あえて使っているだけかもしれませんし、私がイケハヤさんたちと親交を持つこともないでしょう。

なので、ぶっちゃけどうでも良い話ではあります。

ただ、ツイッターでアフィリエイト関連の情報を収集していると、どしても話題としてこの脱社畜サロンと言うものが目に止まりますし、目立つようなプロモーションもしているので望まなくてもタイムラインで流れてきちゃいます。

影響力の強いサロン

現に、 3000人くらいの会員さんがいるようなので、それなりの影響力があるのだと思います。おそらくそこに加入している人と言うのは、サラリーマンの事を社畜だと思っていて、自分が社畜であるから、そこから抜け出したいと考えているのだと思います。

なので、多数派だとは言いませんが、「独立している人はすごい、会社員をしている人はすごくない」、そんな風に思う人が多くいるのではないかと思います。だから、この記事を書くことにしました。

人がどう考えるのは自由ですが、サラリーマンがいるから、この世の中は良くなっているということも理解して欲しいのです。サラリーマンでも、主体的に働けるし、使命を持てるし、大きく稼ぐこともできます。そして何より、大きな仕事するのに1人ではできません。道路を作るのも、家を建てるのも、電気をおこすのもガソリンを運んだり、食事を提供したり、ケータイ電波も網を作ったり、映画を作ったり、 TV放映したり、全て1人では決してできないことです。

つまり、起業家になるより、サラリーマンのほうが大きい仕事ができる可能性もあるのです。国だって、首相や大統領が1人で舵取りできるものでもありません。公務員の人がいるから成り立つような社会でもあるわけです。

サラリーマンが支える社会

つまり、サラリーマンとして雇われている人がいるから、この社会が成り立っているということです。もちろん、自営業者だってそうです。会社経営者も同じです。あえて自分でリスクを取って給料と言うものを手放して自分の責任で報酬を獲得しようとする人が会社経営者であり、自営業者があると思いますが、それもまたサラリーマンと同様に必要です。

そうなんです、みんな必要な働き方なのです。

世の中は多様性があるから良いのであって、一面的であれば、発展が望めず、楽しくないものだと思います。また多様性と言うのは違いがたくさんある、ということであって、優劣がたくさんあるということではありません。違いは違いであって間違いでは無いのです。

だから私は脱社畜サロンと言うものがあっても構わないと思いますし、そこでお金を儲けるのも自由だとと思いますし、そこで学ぶことも自由だと思います。あなたがサラリーマンをやろうとも自営業者になろうとも、独立して会社を経営するようになろうとも、それはあなたの自由であって、いずれも優劣はありません。

他者を傷つけたり自由を奪う自由はない

何が言いたいかというと、サラリーマンとという職業を「社畜」と言うような言葉で蔑むようなことを私たちは容認しないようにしたいといういうことです。人は基本的に何を思おうと何をしようと自由ではありますが、自分の自由を通すにあたって、誰かの自由や人権を侵害するようなことがあってはいけません。誰かを傷つけたり、誰かの自由や人権を損ねる自由は誰にもないからです。

「自分が自由であると言う事」は「誰かの自由を尊重するということ」が前提にあるはずなのです。なぜなら、他者が自分の自由を損ねてこないから、自分は自由でいられるのであって、私が自由であるのは、誰かも自由であるからです。誰かが自由であるのは、あたしが自由であるからです。

脱社畜サロンを通して考えてほしい

今日は脱社畜サロンが炎上していると言う事を通して会社経営者、営業者、サラリーマンとの働き方は、それぞれ同様に価値があり、重要で、多様性が認められるものだって言うことをお話しました。併せて、自分がどうするか、何を考えて行動するかと言うのは自由だけれど、他者の自由を制限したり人権を傷つけたりする自由はなく、自分の自由を奪うことになるのだということを解説しました。

あなたが自分らしく自由で豊かで幸せに生きるために、何かの参考になれば幸いです。