自称ブラック企業の社畜が独立しても絶対にうまくいかない理由
ブラック企業に勤めているサラリーマンってどれくらいいるのでしょうか?
私は職業柄、Twitterをチェックすることが多いのですが、かなり多くの人がブラック企業に勤めているようにみえます。たくさんの人が、自分の勤めている会社をブラック企業と言っているからです。
そもそもブラック企業って何かというと、ウィキペディアによると次にように定義されています。
ブラック企業(ブラックきぎょう)またはブラック会社(ブラックがいしゃ)とは、「新興産業において若者を大量に採用し、過重労働・違法労働・パワハラによって使いつぶし、次々と離職に追い込む成長大企業」[1](今野晴貴による定義)[1]を指す。「従業員の人権を踏みにじるような全ての行為を認識しつつも適切な対応をせずに放置している企業」との指摘もある[2]。対義語はホワイト企業。
英語では劣悪な労働環境・労働条件の工場をスウェットショップ(sweatshop)という[3]。ただ、日本語の「ブラック企業」は工場での非正規労働者のみを念頭に置いた語ではない。
引用元:ウィキペディア「ブラック企業」
つまり、現在軽く使われているブラック企業は、一部ブラック企業の傾向性のある企業のことを指していると思います。また、この言葉は、2,000年代後半のIT企業で使われはじめたのが語源とのことです。(ブラック企業の語源記事より)
全体的な潮流は脱ブラック
一方で、私の知人で大手企業の子会社に勤めている人の話などを聞くと、現在はコンプライアンスがキツくて営業マンでさえ会社から売上げ目標よりも「残業しないこと」のほうを求められるとのこと。
もちろん、これは一部の話であって、いろいろな人に会って話を聞くと、依然として目標に向けて昼夜問わず休日もなく働く人もいますが、全体的には、多くの人の労働時間は短くなっているように思います。
また、職場環境も飲み会がなくなったり、上下関係が弱くなったりして、現代的な会社が増えているようです。
とにかくどこよりも長時間労働で会社を大きくしてきた日本電産さえ残業0を謳っていますし、私が長く学び続けてきて、従業員の方の熱血な働きぶりを目の当たりにしてきたアチーブメントも労働時間を圧縮しています。また、単に労働時間だけでなく、強く言いすぎると「パワハラ」と言われる時代なので、上司は部下に優しくなっているのも潮流です。
時代の流れを外からみて
私は、2012年4月に東京から隠岐の島にUターンして、臨時職員として観光協会に勤めたのち、2013年4月に独立しました。それからは、アフィリエイターとして一人あるいは妻と2人で自由に働いているので、現在の労働環境が全然わかりません。
2014年4月には法人も開設して、当初は従業者を雇おうと考えていました。しかし、私の特性や理想の生活を考えると従業者を雇用して、マネジメントしながらビジネスに取り組むのは最適ではないと判断して、法人を設立したもののずっと一人親方として働いている状況です。
隠岐は、東京とは違って、ずっと昭和な感じなので完全に世の中から離脱して、俯瞰して物事を見ることができます。労働環境についても同じです。
本題・自称ブラック企業の社畜たち
さて、少し話がずれてしまいましたが、「現在自分がブラック企業に勤めている」と発言しているか、あるいは「そう思っている人」が独立してもうまくいく可能性が少ないことをここからお伝えしたいと思います。
なぜ、こんな記事を書こうと思ったかというと、Twitterを見たりブログやサイトの問い合わせで、次のような発言が多いからです。
「今自分がブラック企業に勤めているが、本望ではない。もっと自分の時間が欲しいから独立したい。」
もちろん、「自分らしい自由で豊かな人生を歩める大人」を増やすことは、私の人生をかけた使命でもあります。なので、こういった夢や希望や目標に異論は一切ありません。
けれど一方で、このような発言をする人で、独立してうまくいった人をあまり見たことないのです(もちろん、こういう発言をする人は絶対にうまくいかないというわけではないですが)。
このような発言って何かっていうと、「自分がブラック企業に勤めていると発言すること」です。
どういうことか、少し紐解いていきたいと思います。
ブラック企業に勤めているという発言の背景
まず、「ブラック企業に勤めている」という認識の根底は、現在の会社に対しての不平不満です。何に不満があるかというと、主に労働時間を中心とした「与えられた労働環境」です。もちろん、企業は従業員に対して強い立場であるため、法律によって労働者は守られるようになっています。
過去のいろいろな苦い経験から、企業が人を雇い働かせるのにさまざまな制約を課しています。例えば、労働時間や労災保険のこと、給与や解雇に関すること、処遇に関することなど多岐にわたります。そうやって法律でしっかりと守らなければ、企業のほうが圧倒的に立場が強いので、労働者の人たちが一方的に搾取される危険性があり、フェアでないからです。
ですが、これはあくまでも企業に勤める労働者を守るためのモノで、外部から企業を統制するための試みです。個人事業主になったら一切関係なくなります。
不平不満の根底にあるもの
ここで、私が言いたいことは、従業者として「労働時間や労働環境に対して」被害者根性を持っていた人が、独立して自分で「労働時間や労働環境」を作っていかなくてはいけない状況になって、成果追求型の考え方になるわけがないということです。
これです。
もっと言えば、サラリーマンとして働くという場合、労働を提供する代わりに給料というリターンをもらっているわけですが、そこへの感謝はないのか、給料に見合った労働を提供しているのか?(営業マンであれば基本は、総支給額の5倍の粗利)という点です。
もし、労働者として十分な働きをしていないのに、自社をブラック企業と言っているのでしたら、事業としてみたら労働力としてまだ至らない状況であるといえると思います。
つまり、自分がコントロールできる、企業へ提供する労働の質を向上して責任を果たすよりも先に、従業者として受ける権利を発言してしまう傾向があるということです。つまり、人生を主体的に生きているというよりは、従属的に生きている色が濃いということです。
事業主と従業者は必要な考え方が全く違う
事業主が成果を追求していくことができなければ、よほど売れるサービスや商品を持っていない限り、ビジネスは成り立ちません。
なぜなら、事業主というのは、自分が労働すること(あるいは労働する仕組を作ること)で、収益を上げる存在であり、誰かが勝手にお金を支払ってくれるものではないからです。
望むような報酬をもらえないから不満を持ったり、望むような仕事環境でないから不平を言うような考え方ではなくて、望むような報酬や環境を手に入れるために努力することが求められるのです。
つまり、主体的に働くことが必須になるということです。
サラリーマンでも仕事できる人が有利になる
なので、仮にサラリーマンであったとしても、「自ら率先して求める成果や環境を作って行くような仕事ができるタイプ」の人が、独立してもうまくいく人ということができます。
ましてや、労働時間が長くて家族との時間を取れないことを理由に会社をやめて独立などしたら、当然食っていくことなんてできません。
なぜなら、サラリーマンが勤める会社は、創業からこれまでの間に組織でビジネスを運営して収益を生み出す仕組があるからです。だから、仮に従業員が一人働かなくても、その人へ給料を支払えるくらいは組織が稼ぎ出してくれるので、大勢に影響はありません。
しかし、独立すると基本的には、歴史も仕組も組織も何もない状態からスタートすることになります。だから、特に最初は自分が働く分が収益に結びつきます。サラリーマン時代の場合は、企業や組織というバックアップがあるので、1働くだけで10収益を上げられたのが、独立すると1働いてようやく0.2収益をあげられるような状態になるのです。
- サラリーマン時代 1働く→10の収益
- 新規独立事業主 1働く→0.2の収益
従って、独立するとこれまで以上にたくさん働くことが求められます。朝9時に仕事スタートして、18時に時間通り終えることもできますが、売上が上がらなければ、独立事業主として仕事すること自体継続できないことになります。
大量労働しなくてもスタートアップで成功する事例
もちろん、例外はあります。
大きな資本を持っていれば、リーダーを雇い、いきなり組織を作って取り組むことで経営者があまり働かなくてもよい状況を作ることもできますし、すでにうまくいっているビジネスを買収してくることもできます。のれん分けやフランチャイズなどもすでにできあがっている仕組を活用出来る良い事例でしょう。
あるいは、世の中に求められてやまない事業だけれど、まだ誰も参入していないような非常にレアなアイデアがあれば、そこそこの労働で成果を出せるかも知れません。
- 大きな資本を持っている
- 極めて優れてビジネスアイデアがある
しかし、これらはかなりレアなパターンです。ブラック企業に勤めているとぼやく人が、最初からそんなに多くの資金を持っている確率は低いですし、少ない労力でヒットするアイデアはもっと希少で難しいことだと思います。
従って、基本的にブラック企業の社畜は、独立してもうまくいかないという結論になります。まずは、事業者としての視点、考え方を学んでいくことをオススメします。
※私は、社畜という言葉が嫌いですが、あえてここでは使っています。ご了承ください。詳しくは、サラリーマンがと自営業者や経営者の優劣と脱社畜サロンの炎上ご覧ください。