親を許すことは自分を許すこと

なたは、親に対して許せない気持ちを持っていませんか?

例えば、「女に学歴は入らないと言われて、大学に進学させてもらえなかったのが許せない」とか。「あなたが挫折して苦しんでいる時に、あなたの気持ちを理解しないで、一方的に、ちゃんとしなさい!!と怒られたことが許せない」とか。「いつも何かをしようとすると親が口出ししてきて、自分らしく生きられなかったことを恨みに思っている」とか。

親子関係というのは、本当に人それぞれで、親に対する子供の感情も、子供に対する親の感情も、完全に十人十色です。仮に兄弟がいたとしてもいなかったとしても、あなたと親との関係は、他の兄弟と親との関係とは異なります。親に対する気持ちも、親のあなたに対する気持ちも、状況も関係性もすべてが異なります。すべてが、個別の関係性となっているのです。

「同じこと」でも人によって違う捉え方になる

同じことでも人によって捉え方が変わる

また、例えば【「今日は仕事が忙しくて帰るのが遅くなるから、これでご飯買っておいて!ごめんね。」といって2,000円あなたに渡したこと】があったとします。この全く同じ事が起こったとしても、人によってその記憶は千差万別の状況として、人によって全然異なる印象の記憶として残ります。

  1. 仕事なのに、自分たちのために2,000円もくれてとてもうれしいという「感謝」「喜び」
  2. 仕事ばかり優先して自分たちは見向きもされないという「怒り」「寂しさ」
  3. そんなことあったかも覚えていないくらいの出来事「寂しさや怒りを通り越した無関心」
  4. そのことがたいした問題でないことだったという意味で「肯定的に無関心」

細かく言えばもっといろいろなパターンや捉え方があると思いますが、ざっと考えるこんな4つのパターンが想像できます。

このように、まったく同じ出来事だったとしても、それまでの親と子の関係によって、子供がどんなことを感じて育ってきたかによって、完全に違う「解釈」「捉え方」となるわけです。

※このうち「親を許せない」というのは、2,3のパターンで、1,4のパターンについては特に親を恨むようなことはない状況を示しています。

無理に肯定的になる必要はない

無理に肯定的になる必要はない

ここで注意して頂きたいのが、仮にあなたが同じ状況を経験したとして、無理矢理1や4のように、「親を肯定しようとしなくてはいけない」わけではないということです。親が最善の選択の結果として、あなたが満足いかないような対応をしたことを、あなたが許せないとしても、あなたにそれを無理矢理許すようにしましょう、とは言おうと思っていません。

逆に、他の誰かからみて、「それはあなたが親に感謝すべきでしょう、親を恨むなんておかしい」と言ったとしても、あなたが「親を許せないでいる」のだったら、やはり、あなたが親を許せない状況があるのだと思います。

親子関係は親と子だけが知っていること

常に親子関係においては、他者がすべてを知ることはできません。ただひとつの側面だけを切り取って、他人が何かしらのジャッジをするべきではないと私は思っています。なので、もしかしたら、人や本やセミナーなどの情報を見たり聞いたりして、あるいは他人が「親を許せないあなた」を「わがまま」だとか「自分勝手だ」とか「感謝知らず」だとか、裁いて批判してきたりするかもしれません。

でも、あなたはそれを「気にする必要」は一切ありません!

あなたと親の関係は、あなたが生まれてまだ意識のない時から、今までの間、これまでの人生の時間分だけの深さがあります。他人はそのすべてを知ることはできない以上、どんな批判もする権利もなければ、そんな必要も一切ありません。

具体例に見る親子関係

具体例にみる親子関係

例えば、先ほどの例で、「今日は仕事が忙しくて帰るのが遅くなるから、これでご飯買っておいて!ごめんね。」と言って2,000円渡したとします。この背景として、次のような事があったらどうでしょうか。どういう判断になるでしょうか。

  • いつもは17時に帰宅して夕ご飯の準備をして、18時から家族揃ってご飯を食べているけれど、たまたま外せない予定が急に出来てしまった人の発言
  • 普段は仕事を17時に終えて、適当な惣菜を買って帰ってきて、ご飯を食べさせてからいつも通り22時までには寝なさいねといって、子供たちだけ家においてダブルワークに出かける人の発言
  • 毎日家に帰ってくるのは深夜で、夜はいつもおばあちゃんに面倒を任せっきりなのに、たまたま他人と一緒だったタイミングで世間体からこのように発言した人だった場合

もちろん、さまざまなもっと深い背景が常に人生や親子関係にはありますが、仮にこの一文で済むくらいの事情しか背後がなかったとしても、いろいろと考えさせられますよね。

ただ一言、「今日は仕事が忙しくて帰るのが遅くなるから、これでご飯買っておいて!ごめんね。」という経験をとっても、さまざまな背景がある可能性があるので、他人はそこに介入して批判する権利を持つことはできないのです。

親にも親の背景がある

さらに言えば、親には親の背景があり、仮に先ほどの事例で3番目、他人からの目を気にして子供に声かけした親がいたとして、その親がもし虐待を受けて育った親だったとしたら、どうでしょうか。「愛を受けずに育った人に、愛を受けないまま愛を与えること」が、どうしてできるようになるというのでしょうか。

完全に愛を受けないと人は死んでしまうと言います。なので、生きているということは誰かしらからの愛は受けていることになります。ですが、十分な愛を受けずに育った人は、愛を与えることが困難になるのは当たり前だと思います。

もちろん、愛を受けて育っていなくても、愛を与えるようになることはできるでしょう。でも仮に愛を受けずに育った人が、愛を与えることができないとして、誰がどんな権利で、その人を批判することができるでしょうか。

しかし、一方で、愛を受けずに育ったからといって、どうして子供に愛を与えずに育てる権利がその人にあるのでしょうか。

親の義務、子供の権利

激しく矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、実情はこうです。

  • 愛を受けずに育った人が、子供に愛を与えることができないとして、それを誰も批判することはできないし、許されるべき性質のもの
  • 愛を受けずに育った人が親だとして、子供に愛を与えずに育てる権利をその親は持っておらず、親である以上、子供に愛を与えなければならない。

つまり、愛を受けずに育った人が子供に愛を与えられないことは仕方ないけれど、子供は愛を受けて育つ権利がある、という非常に矛盾した状況になります。

じゃあ、どうすればよいの、って話になりますよね。

これから詳しく解説していきますが、非常に重要なことです。人は常に、誰かの子であり、子が出来たら人は常に親となります。そして、親から子へ何かしら「負」の遺産が受け継がれた時には、【あなたがその「負」の遺産を消化して無害化するしか方法はない】ことをまとめていきたいと思います。

子供は常に受け身の存在

子供は常に受け身の存在

まず第一に、親子関係においては、子供は常に受け手だということになります。

子は望んで親の元に生まれてきたのではありません。誤解を恐れず言えば、子供は親が作るものであって、子が親を選ぶ余地は一切ありません。完全に子供は親の選択に付随して生まれてくるもので、どういう風に育つかも完全に親に依存しています。

スピリチュアル的に考えると、子供が空の上から親をみて、親を選んで生まれてくるとも言われます。また子供は授かりもので、親の我をとり人間的に成長させるために生まれてくるのだという意見もあります。確かにそれらは一理あると思います。

しかし、唯一間違いなく言えることは、子供が生まれてくるのは、男と女が性交渉をした際に射精された精子と卵子が受精して、子宮に着床することから誕生します。ここに、子供の選択の余地は完全にないことは明白だと思います。つまり、子供は常に完全に責任がない無力な状態からスタートして、完全依存状態で育つということができると思います。

子供の人格=先天的な特質×後天的な特質

そして、子供は先天的な特質を持って生まれますが、親が育てる環境によって、その人格特性=後天的な特質を磨いていくことになります。もちろん、先天的な特質というのは、ご両親からの遺伝です。

なので、先天的な特質についても、その後育てられる環境によって作られる後天的な特質についても、その2つが合わさってできる人格特性についても、完全に「親の責任」ということが出来ます。もちろん、一定以上成長してしまえば、「親によって作られた人格特性」が「自分の選択」で、いろいろなことをしますので、成人してからは子供も自分で責任を取らないといけないことになります。

ですが、「ある行動を選択した子供の根本」は、「親が育てた人格特性」だということを考えると、親の子供への責任は、子供が自立するまで継続することになります(自立というのは成人という意味ではありません)。

子供が自立するのはいつ?

表面的には、子供が自分で責任を持つのは成人するタイミングではありますが、それは社会的な便宜上の問題で、本質的には「子」が「親」から受けた枠組みを超えて、真に自分の意思で生き始めたタイミングからになると思います。つまり、30歳であれば成人しているので基本手金は子は子の責任を持つことが社会的に求められます。しかし、仮にその子が真に自立していなければ、その子は30歳であっても、その子の責任は親にあると私は思います。

そう考えると、親は子が、本当の意味で自立できるように、精神的な枠組みを愛を持って育てるべきということができます。

しかし、ここからが問題です。これまでは親の立場で子供への責任を考えてきましたが、今度は逆に子の立場から考えるとどうなのかという点です。ここからが、親への許しにつながっていく重要なポイントになってきますので、しっかりと読みこんで下さい。

不完全な人間である親

不完全な存在である親

一方で、この世に完璧な親はいません。

親のすべきことは何なのか、子供にどんな接し方をすればよいかなんていうことは、本屋にいけばいくらでも勉強できます。

しかし、そもそも親としてどんな子育てをすればよいか学ぶ人は少ないです。学んでも実行する人はさらに格段に少ないです。しかし、ほぼすべての親が子育てに躓き、悩みを抱えて、不安と葛藤を抱きながら懸命に取り組んでいるのは間違いありません。

折しも激しい競争社会で、さまざなな価値観が入り乱れて、個人主義が広がるなかで、経済活動の中で、家庭で非常に大きなストレスを抱えている人も多くいます。

親自身が日々一生懸命に生きている

現代社会は非常に豊かにはなりましたが、生活しづらい側面もあります。職場では厳しいノルマがあったり、徹底的に生産性や効率化を求められて疲弊する人も多いです。人間関係も多様化していて、管理職もストレスをためやすいようにみえます。

また、外で忙しさとストレスが増す分、家庭がギクシャクするということもあります。しかも子育てをする人は、20代~40代前半くらいまでの比較的若い世代が多く、精神的にも未熟であることが多いですし、決裁権も少なく、社会的な地位も低く自由度が低いことも多いです。

そんな状況の中で子育てをするわけなので、ほぼすべての人が、「思うようにならない苦しみ」を抱えることになります。そしてその結果、子供にひずみとしていくことなります。

子育てが不完全なのは万人に共通だけれど

ただ、程度の差こそあれ、子育てが思うようにいかないのは、万人に共通したことといえます。これで十分だというくらい自分の子育てに満足している人や、自信に満ちている人はほんとうにごく少数だと思います。

だからといって、子供にひずみがいっていいかといえば、NOです。子供には、子供として親から愛を受け取る権利があり、自己実現できる自己愛を育んでもらう権利を持っています。

でも、親も不完全なので、完璧な育児や教育はできません。

また、親が不完全な人間で、不完全な育児と教育しかできないとしても、その不完全のレベルがどの程度なのかも重要になります。

一番ひどい場合だと、育てることができず、子供を死なせてしまうケースだってあります。一方で不完全ながら、自分を大切にできる心を育むことができて、将来幸せになる子もいます。

この記事をご覧の親御さんへ

この記事を読んでいる親御さんへ

「今」あなたがもし親という立場で、子育て上の何かしらの問題を抱えて、この記事を見ているのだとしたら、子供へ最善の育児を今スタートしてください。今、子供が何歳であったとしても、生まれたばかりの時からいままでの間で、できなかったすべてのことをするように心がけてください。

しっかりと愛が伝わり、「あなたが本気で子供さんを大切だということ」を子供さん本人が認識すれば、子供は自然と自分を大切にして幸せになるよう舵をとります。

しかし、すでに子供さんの年齢が一定レベルになっている場合で、本来3歳までに伝えるべき無条件の愛をこれから伝える場合は、相当時間がかかることを覚悟してください。

子育てのリスタートは時間がかかる

3歳までにきちんと伝えられたらそんなに手間はないですが、そこから時間が経過しているほど、つまり年齢が大きくなっているほど、愛を伝えるのが大変になります。根底がずれた状態でずっと来ているからです。

なので、相当な覚悟を持って、これでもかって何回もくじけそうになりながらでも愛を伝えて続けてください。それしか方法はないです。

できなかったことを「今から実行する」。

これが、親であるあなたの勤めであり、唯一できることです。

子供の立場でこの記事を読んでいる方へ

子供の立場でこの記事を読んでいるあなたへ

次に、あなたが「子供の立場」で、親を許せない状態である場合どうすればよいか検討していきます。

あなたが子供の場合、親に何かを求めることはできますが、親が不完全な存在である以上、あなたが求める「こと」を提供してくれる可能性は低いです。

この記事で書いているようなことを「考えている親」であれば、対応してくれることもあると思います。しかし、ほとんどの親が「不完全な子育てしかできなかったこと」を悔いているとはいえ、もしこれから子であるあなたに何かを「求められる」と、親が自分の至らなさに耐えきれない可能性が高いです。自分の至らなさを受け入れられない場合、親を逆ギレされてしまい、状況を悪化させる可能性さえあります。

従って、親へ過剰に期待をすることができないということができます。

親との関係性は子との関係性を反映する

じゃあ、どうすればよいかということになります。親を何かしらの原因で許せないとして、万が一そのまま親御さんが亡くなるようなことがあれば、一生あなたは後悔するかもしれません。また基本的にあなたの親への気持は、そのままあなたが思う、「あなたの子が親であるあなたへ思う気持ち」に反映してしまいます。

なので、あなたが親を許せないとしたら、あなたの子もあなたを許せない時が来るのではないかと思ってしまい、あなたとあなたの子供さんとの関係性を悪化させる可能性もあります。あるいは、自分の不完全さを受け入れられなくて、あなたが苦しむ可能性もあります。

従って、しっかりとあなたとあなたの親御さんとの関係性というか、あなたの中の親御さんへの怒りを癒やして、許せるようにできないといけません。

選択肢1・許す

では、どうするか、というところです。

あなたの恨みのレベルによりますが、ここまで読んで、「ああ、親も不完全だったんだな」と思えるのであれば、今、親を許してください。

あなたが親を許すだけで大丈夫です。

親に伝えたければ、親に感謝を伝えればいろいろと好循環がはじまる可能性もあるので、それに越したことはないです。でもいきなり伝えるのが難しければ、必ずしも親へ感謝を伝えなくても構いません。ただ、自分の中で許すことを完結してください。

選択肢2・他者の力を借りる

また、万が一、この記事を読んでも、「とてもでないけれど、親を許せない」という方は、ぜひカウンセリングを受けてください。「精神分析」という手法があって、あなたの心の中を時間をかけて探っていって、あなたの中のわだかまりを解くことができます。

ただ、この精神分析というカウンセリングをどこで受けるのかは非常に難しいです。

なぜなら、ほとんどの精神科や心療内科の医師はそういった能力がないからです。また、精神分析には、1度や2度の治療ではないので、ある程度繰り返しカウンセリングに通うことが必要になりますので、気をつけてください。

ちなみに、心理療法士さんなどが、精神分析を出来たりしますが、病院でないと健康保険の提供とならない可能性もあるので、診療科目に精神分析が謳われている精神科や心療内科にぜひ一度相談してみてください。※経済的に成約が少ないかたは、民間のカウンセラーでも大丈夫です。

しっかりと本気で、あなたの中の価値とあなたが向き合って、しっかりと深いところで親を許せるようになることを心から祈念しています。その暁には、相当人生が好転していることが期待されます。