世の中には実に様々な人がいて、それぞれの人が全く異なる人間から生まれ、全く異なる環境で育ちます。そして、多種多様な価値観、考え方が育まれることになります。
結果、この世の中にはまったく同じ人というのは1人もおらず、全ての人が千差万別異なる唯一無二の存在であり、それぞれ違った価値観、考え方を持って生きています。
世の中に生きる人は皆、それぞれに違う「当たり前」や「常識」「普通」を持っているということです。
自分の考え方しかわからない?
ところが、私たちは自分の考え方や価値観と「違うもの」を、「普通では無い」「非常識だ」「変だ」、と捉えることがあります。
あなたの考え方、あなたの価値観から見たら、他の人の「成すこと」「言うこと」が普通では無いとか非常識だとか変なことだと感じるかもしれません。しかし、そもそもあなたと他の人は根底にある考え方と価値観が異なるのですから、言動や行動が違うのは当たり前といえます。
にもかかわらず、他の人があなたの価値観に合わない言動や行動をとることに対して、その違いを持って、「普通では無い・非常識だ・変だ」、と判断するということは、非常に自己中心的な考え方と言えると思います。
なぜなら、相手からすれば、あなたの言動や行動、根底にある考え方や価値観そが、非常識だったり、普通ではないと感じるはずだからです。なぜなら、あなたと相手は価値観が違うからです。
価値観が異なることを「正しい間違い」と思い込む事例
例えば、ある人にとっては家庭において、「専業主婦の配偶者である夫」が家事をする、というような事は非常識だと思うかもしません。でも、私とすれば、家庭は夫婦が力を合わせて営むべきことで、それぞれが共に家事を担う義務と責任があると思っています。
それは、妻が専業主婦であろうと兼業主婦であろうと、関係ありません。夫婦2人で、家事をする義務を持っており、それぞれの適性や好みなどを元に、話し合いによって分担を決めればよいだけのことだと思います。つまり、妻が家事をするべきかどうかは、決められた定めのあるものではなく、夫婦が話し合って分担を決められたら良いと思うわけです。
なので、私からすれば、「家事は専業主婦がするもの」という考え方、価値観を持っていません。
しかし一方で、専業主婦の仕事は家事であって、夫は外で働いてお金を稼いでくるものなのだから、「家事は専業主婦がするもの」と思う人もいると思います。その人には、「専業主婦の配偶者である夫」が家事をするということは価値観にないはずです。このように、それぞれの人が持っている価値観というのは千差万別であり、全く異なります。
異なる価値観の人間が利害関係にあるとどうなる?
先ほどの例で言うと、専業主婦の夫が家事をする、と言う事は、ある人にとっては当たり前のことですが、ある人にとっては非常識のです。
では、仮にこの2人が会社の上司と部下だったらどうでしょうか。上司は「専業主婦の夫が家事をすると言うのは非常識だ」と思っていて、部下は「家事は専業主婦がするもの」という考え方、価値観を持っていません。その前提状況の中で、部下が「今日は家事が溜まっているので、残業をせずに帰らせてくれませんか。」と上司に伝えた際に、上司はどう言うでしょうか。
ある上司Aさんは、「そうか、家族を大切にしていてすごいねと、家庭円満は仕事の業績に影響するから、今日は早く帰って家族を大切にしたげてくれ。」と言うかもしれません。
でも、別の上司Bさんは、「お前の奥さんは専業主婦なんだろう?家事は専業主婦がするもんでしょう。お前がするものではないぞ。だから残業せずに帰るのは許さん!」と怒り出すかもしません。
異なる価値観の人間が、利害関係を持って接しするケースで、考え方の違いが表面に出たとき、それぞれがどう対処するかは、人間関係においてものそごい大きな影響を持つことになります。
違いを容認できるか、否定してしまうか
上司のAさんもBさんもそれぞれ「妻が専業主婦の場合、夫が家事をするものではないと言う価値観」を持っていたとしても、 AさんとBさんとでは対応が全然違います。 Aさんは部下との違いを受け入れ、部下の価値観を尊重することで、仕事の成果を作ろうとしてると思います。一方で、Bさんは部下の価値観を否定して、自分の正しさを部下に押し付けてしまいました。
よりよい人間関係を築いていきには、あるいは仕事の成果を向上させるには、どちらが効果的でしょうか。
この場合、 Aさんは「自分の当たり前」と「部下の当たり前は異なるもの」だという認識を持っています。一方で、Bさんの場合は、自分の考え方、価値観が正しくて、自分とは異なる考え方や価値観は間違ってると思っています。
多様性こそが社会の根底であり人類進化の基盤
ところが、世の中は様々な人がいて、様々な仕事があって、それぞれが価値観・考え方が異なるから成り立っています。自分が嫌なことも、他の人がやってくれたり、他の人の嫌なことをあなたがやったりするから、世の中が回っていくのです。自分の弱みを他の誰かが補ってくれて、他人の弱みをあなたが補っていく。そうやって社会は廻っているはずなのです
つまり、人と人の違いがなければ世の中は円滑に回りませんし、発展の余地も少なくなるはずなんです。自分の価値観、自分の考え方が正しく、自分とは異なる価値観考え方は間違ってるというのは、原理原則を無視して、自分都合の考え方になってしまっていることになります。原則からすれば、違いがあるだけで「正しい間違ってる」ではないのです。
※もちろん、普段であれば違いを受け入れられる人でも、ストレス下にあると自分の正しさを押しつけてしまうこともあります。状態によって変わることがあるのもひとつの要因であることは抑えておいてください。【参照】自信がない、落ち込んでいるなど弱っている時の対処法
今日伝えたかった事は簡単に言うと「違いは違いであって間違いではない」ということです。これは私が自己啓発のセミナーを受けてもっとも勉強になったことの1つです。ぜひ今日からあなたも他人との違いを「正しい間違い」で判断するのではなくて、「違いを違いとして受け入れる」そんな器の大きな人間として生きて頂けたらと思います。
結局、人間の器は、自分と違う考えを受け入れられる許容量だということができると思います。