矛盾と葛藤を受け入れて人間力を上げよう

球の強豪中学に入学した息子が、入学してはや4ヶ月となりますが、大きな壁にぶつかっています。入学前からわかっていたことですが、周りが強すぎて、練習や試合で、全然歯が立たず、自信がなくなってしまっているのです。

そんな中、先日カデット(中学2年生以下の大会)大会島根予選に参加して、ものの見事に大コケしました。シングルスでは、小学校の時に勝った相手でまだ6年生の子に負けて、ダブルスでは元いたチームの後輩とギリギリの試合をしてしまいました。

※私の息子の話なんてあなたには関係ないと思われるかもしれませんが、のちのち関係してきますので、ぜひ最後までご覧ください。

大コケして自信をなくしたプロセス

普段の練習で負けているから自信が持てないためか、虚勢を張って試合に挑むため、本来の力を発揮することができず、力んだ状態のまま大会を終えてしまいました。

ただでさえ出場機会が少ない大会の中で、結果を出すことが出来なかったことに、相当落ち込んだようです。

もちろん、試合で「自分の心のコンディション」をきちんと整えることができないのは、息子の責任であり、それも含めて実力です。自信をなくしたといっても、もともとこれまでと違って強い子たちの中で練習するので最低でも1年くらいはなかなか勝てなくて苦しいことなんて百も承知で、覚悟の上での進学です。

でも、実際に想像していたのと違って、毎日の練習の中で自分が弱いと感じること、同僚たちのスキルが想像を絶して強いことなどから、落ち込んでいるようです。

想像よりも大変だったろう

まだ小学校を卒業してわずか、12歳の小さな少年が親元を離れて寮に入り、男ばかりのなかなか劣悪な環境下で、自分の事は自分で行いながら中学に通って、ハードな練習をするだけでも大変なことです。

想像していたとはいえ、「実際にそんな中で、日々自分の至らなさを体感する」となると、そりゃ大人でも心が折れることだってあるくらいのことです。まだ子供の息子には相当苦しいことだと思います。

大変だよって想像していても、実際に体験してみたら、思ったよりももっと大変だった。そんなことってたくさんありますよね。そりゃ、人生経験の少ない小学生に、強い子たちばかりと練習して毎日負けて自信がなくなってしまうことなんて想像できないと思います。

好きに生きなさい

私としては、好きなことをただトコトンやって、努力することの大切さを学んでくれたらよいやと思って私学に進学させたので、正直卓球を辞めてもよいと思っています。

私は別に息子に卓球を強くなって欲しいと思っているわけではなく、本人が卓球が強くなりたくて「強豪校に行きたい」といったから行かせているだけです。なので、息子が卓球を辞めたいといえば、辞めてもらっても全然構いません。これは、ホンネです。

どんなジャンルでもぶち当たる壁でもある

一方で、どんな世界であっても、上を目指そうと思うと、必ず自分よりすごい人がいて、全国、全世界には、そのすごい人よりももっとすごい人がたくさんいるのがこの世の中だと思います。

そんな世界の中で、自分を鍛えて、落ち込んだり迷ったりする中、がむしゃらに努力して自分を向上させていく経験は非常に価値があることだと思います。それを、「自分の好きなこと」を通して体験できるのであれば、そんなに素晴らしいことはないと思います。

だから、息子がそんな苦しい思いをしてでも卓球で強くなりたいというのであれば、それはそれで応援してあげたいと思っています。また、壁を乗り越えるためにサポートも惜しみなくしたいと思っています。

強くなりたいけれど、苦しい!!

そんなこんなで、少し息抜きさせたいというのもあって、今日は昼飯を一緒に食べて、少しだけ話ができました。「辛いね」と共感すると「うん」と言って、遠くを見ている息子でしたが、それでも「卓球で強くなりたい」ということで、午後の練習に送って行きました。

卓球 の腕を上げて強くなりたい!

でも、同じ学校にはたくさん自分よりも強い人がいて、県内の他の学校にはもっと強い子がいます。さらに中国地方の学校を見ればさらにさらに強い子がいて、全国をみるともっともっと強い子たちがうじゃうじゃいます。

そんな強い子たちの中でも、もっとも強い子が、張本くんだったり、京都の松島くんだったりすると思います。

先が見えるものではない

息子が本気で取り組み続けて、どこまで強くなれるかわかりません。

息子自身もどこまでだったら強くなれるか想像できないみたいです。もしかしたら、オリンピックに行けるかもしれないけれど、以前いたチームの先生曰くは、そこまで強くなるのは無理とのことです。

でも、息子は卓球で強くなりたいんです。じゃあ、どこまで強くなるのって、強くなれるところまで強くなりたいんです。アバウトな目標しか立てられないことは成功哲学に反するけれど、仕方ないことといえば、仕方ないことだと思うのです。

強くなりたい、負けたくない。でも、いつも自分より強い子がいて、どこかでは必ず負けてしまう。だから、もがいてもっと強くなりたいのです。

生きていたら葛藤し悩む

先が見えるものでもない

人間は、生きていれば、必ず葛藤を抱きます。矛盾する思いを持つことになります。得たいのに得られないことがたくさん出てきます。なりたいのになれないことがたくさん出てきます。どうしてよいかわからないような事柄なんてしょっちゅう起こります。

相反する正義に挟まれることも多々あります。数学の世界と違って、常に世界は1+1=2という答えが出るわけではありません。

葛藤を抱いた時に、葛藤を葛藤として受け入れて、自分の中に持ち続けることができること。

これは強さです。

矛盾を矛盾として受け入れて、自分の中で持ち続けることができること。これは強さです。

容易な解決策で妥協をするのではなく、居心地が悪い点で立ち続けることができること。これが、葛藤や矛盾を受け入れるということです。

葛藤を葛藤のまま受け入れることとは?

先の息子の葛藤もそうですが、もう少し身近な例を出してみます。

例えば、私は自分らしい自由で豊かで幸せな人生を歩むために、経済的な自由と暖かい家庭を構築していくことを決めています。そうすると、お金を稼ぐために仕事をしないといけないけれど、家族からは家族のために時間を使ってほしいと求められます。子守をしたり、家事をしたり、一緒に時間を過ごすことを求められ、それは私の人生の目的でもあるのでやぶさかではありません。

でも、家族のために時間を割くということは、その時間「仕事をしない」ということですので、経済的な自由を拡張していくことができません。また、自分の時間を「家族に拘束される」ということになります。

相反する欲求充足

家族を大切にして家族とともに時間を過ごすこと。これは、一方では自分の求める最高の人生の一部ではありますが、経済面を中心として自由の欲求を満たすという面では、欲求充足を妨げることでもあります。

※欲求の基礎的な内容については、選択理論と5つの基本的欲求をご参照ください。

じゃあ、家族を満たすことで愛と所属の欲求を満たすことを優先するのか、あるいは仕事をして力の欲求を満たしたり、お金を稼いで自由の欲求を満たしたりを優先して、家族との時間を少なくするか。

そもそも、普通に私は、3食家族とともにしていますし、お風呂だって毎日息子と入っているので、それだけで十分で、それ以外は仕事してもよいではないかと考えることもできるかもしれません。

どうするのが正解なの???

私は、この時間の使い方のバランスについて、常に葛藤を抱きながら取り組んできました。ただ、基本的には家族優先で時間を使ってきたと思います。

しかし、家族との時間と仕事の時間を両立するという葛藤はなかなか難しい問題だと思います。

私たちが、今のように毎日豊かに生活することができるのは、私が仕事をしてお金を稼ぐことができるからではあります。私たちは仕事を通じて社会と関係性を構築することができ、仕事を通じて社会に価値を提供することで豊かになることができます。そして仕事をして、社会に貢献することは私の生まれて意義でもあると思います。

家族は幸せの源

一方で私たち人間が、真の意味で幸せに生きることができるのは、家族を中心とした深い人間関係で愛を感じた時だと言われています。

その大切な家族のためにどれだけ時間を費やせば十分で、仕事にはどれだけ時間割けば良いのか、答えなんてないのです。自分で生きて、自分で見いだして、時間をコントロールしないといけません。

ここで、私が言いたいことは、仕事を優先すべきかどうか、家族を優先すべきかどうか、ではありません。その狭間に立ったままでいること、葛藤や矛盾を受け入れるということはどういうことかということを示すことです。

葛藤を葛藤のまま抱く

私も過去、以前の結婚の時には、家族が大切だからと言いながら仕事を優先していました。結果、家族は崩壊してシングルファザーとなりました。今は、家族が大切だからと言って家族を優先しています。でも、過去はもっと家族と時間を持ちたかったし、今はもっと仕事したいという思いを持っています。

私はまだ未熟なのでどうしても、両極のどちらかに寄ってしまうのです。

でも、本来はそれらを踏まえて、葛藤を抱えて、矛盾を受け入れて、日々時間の使い方を決定していけばよいのです。自分で葛藤しながら考え続けて、そのときそのとき最善を尽くすしかないのです。でもなかなかそうはいきません。

なぜなら、正解を見いだせないまま、宙ぶらりんであることはなかなか難しいことだからです。家族を優先するとか、仕事を優先するとか、白黒つけたほうが、居心地がよくて落ち着くからです。

人が成長するのは矛盾を追及し続けた先

でも、人が本当に成長して器を大きくするのは、こういう葛藤を葛藤のまま持っておいて、結論を出さずにいられた時です。自分が正しいとも間違っているとも言えない状態でも正常におり続けて考え続けること。これが、器を拡張することになると思います。

あなたの抱えている葛藤は何ですか?いつもそこで、どういう判断をしますか?どういうジャッジをしますか。

ぜひ、ご自身の傾向性、何に対して葛藤を放棄しているのか検討してみてください。

葛藤や矛盾をそのまま持つことができることで、人の器は拡張して、多角的に物事を捉えることができるようになります。ぜひ、1つの物事も、いろいろな角度からみることができるようになってください。それが人間の幅を増すことだと私は思います。

※だから、息子は今の状態の中で、満足いくまでがんばってくれたらよいなと思っています。いつでも辞めて帰ってきたらよいし、いつでも迎えに行こうと思っています。でも、頑張りたいうちは頑張ってくれたら良いなと思います。

今日は息子の抱く葛藤から、自分を成長させる方法について解説しました。ぜひ参考にされてください。